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第1章-Part1 木こり!ニートから林業へ就職

 このブログは「ニートから林業へ、林業からITへ!?」の内容です。

 私がIT知識なくITを3年間学んできたツイートです。
まだまだ浅はかな知識ですが非ITの方、ITに興味がある方はに読んでいただけたらと思います。

 内容に誤りなどがありましたらご了承の上、暖かく見守って頂けたらと思います。


ニートから林業へ

 初めましてGGTOPで勤めています。Y.Kと言います。
ここでは、なぜ自分がニートから林業へ就職したかと言うとお話をいたします。正直田舎じゃ建設か林業しかない。

 要は汗をかく仕事しかないのです。それが悪いかと言えば悪くはない汗水たら健康にも良いし痩せれるしでも給与が少ないのが難点、この世の中生き抜くには仕方ない。

 父の知り合いの紹介で入ったようなもので正社員と言うから入ったまで。最初は重機(フォークリフト)で材を指定の場所に持っていくだけだから楽だと思ったけどこれが楽じゃない。何せ9月猛暑の時期のフォークリフとは体感温度50°を超える。しかも防塵マスクもしているから暑すぎる。

 全く楽じゃないし、しかも熱いと言って半袖だと風で飛んできた木屑が刺さったりして後々痛い。上記のように自分で考えて職を選ばないと後々後悔する。

 でも悪いことばかりではないですよ。ものすごく痩せました。 今はバナナマンのヒ○ラですが。それはさて置き、ただキツイだけなら我慢できるけど一番キツイのは怪我!!怪我ですめば良いのですが何せ大型重機など材も何トンもありそれで怪我をしたら……….ご臨終になる。

 実際に自分のとこでは4年間の間に死亡事故2件、重傷者(足切断:粉砕骨折)などがありました。現場仕事はこう言うこともありますからね。気を抜いたら大惨事になり職場とか家族にも迷惑をかけてしますので毎日気を引き締めていました。と言いつつ何回も怪我してますがね。3mから落ちたこともありますしね。

 その時は打撲と脱臼で済んで良かったのですが仕事は休めないし痛み止めを飲みながら、振動がすごいフォークリフトに乗ってました。

 この時から自分はこの仕事を70歳近くまでするか……..と思うと背筋が氷つきます。70歳で林業してたら自分の棺桶まで作ってしまうかもしれないです(恐ろしい)

 なんだかんでしているうちに仕事も4年以上も働いてました。危ない職場で働いていると自分で名言が思いつきましたね。

『食うていくためには死を恐れず働け、死んでも霊となって働け』と言う名言を思い付いたくらいです。自分は死んだらお供物を食べますが。

 これだけ危険で大変だと何度も辞めたいと思ったこともあります。でもそんな時職場で7つ上で先輩であり友達でもある先輩(たけちゃん)が勇気付けてくれたのもあり頑張ってきたのもあります。どんな職場でもこう言う先輩(友達)が居るととても心の支えになります。現在も林業を辞めても友達として連絡したりしてます。

 上記で何が言いたいかと言うと、どのような職でも人間関係が大切と言う事です。後の木こりブログ中で人間関係の大変さ大切さを語っています。

自分の仕事内容はフォークリフトで材を指定した場所に持って行くだけではありません。林業の仕事でも降ろし場の仕事内容を少し詳しく説明いします。

先ずは山から剪定された3m-6mの材と材の直径(材の太さ)が0.5-80までの材が降ろし場までトラックに乗ってきます。

 それをグラップルという大型重機で大きさ長さで仕分けします。

その後フォークリフトが材を選別機に持って行き材がかく材の寸法のポケットと言う場所に落ちていきます。

それをかく指定の場所へ持っていきます。

 自分の仕事内容はこれが主です。他にも色々ありますがここでは割愛いたします。このような事を4年もしてたなんて生きてて良かった。最後の写真で手前から2番目の崩れた材は私が横を通り過ぎた後すぐ崩れた後です。後数秒遅かったらと考えると……

林業になぜ就職したか大変だった事をお話しいたしました。
次回第1章-Part2   木こり!危機一髪!そして結婚!母の死!』をお話しいたします。

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